三河の相場師

精神と相場の統合

悪魔主義(サタニズム)

悪魔主義(サタニズム)は何にでもなりえるし、どこにでも存在する。ただし、それほど寛容ではなく、安逸を好まない。私たちは一つの体の中にあらゆる要素を内包し、いわゆる「善い行い」に関する規則を無視する人種なのである。

 

ここでのサタニズムとはアントン・サンダー・ラヴェイが創設したチャーチ・オブ・サタンの思想であるラヴェイ派サタニズム(無神論サタニズム)を指す。チャーチ・オブ・サタンとは、人間の真の本質、つまり人間が快楽を好む肉欲的な獣であるということを是認する史上初の地上の組織である。

 

サタニストにとって、サタンは生まれながらの肉欲的な存在。思考と感情の間に激しい対立を感じない存在、「肉体に閉じ込められた魂」という概念を持たない存在を最も適格に表す象徴であり、また、サタンは、誇りと自由と個人主義を表している(これらは外界の神を崇拝したり、自己の思考と感情の間に対立を感じる人々にとっては、大抵の場合”悪”と定義されるものである。

 

サタニズムの本質は、正反対のものを統合するところにある。

 

人間は自分の頭脳を使ってすべての神を発明しましたが、それは私たちの種の多くが自分の個人的なエゴを受け入れたり制御したりすることができず、一人または複数の登場人物を思い起こさざるを得なくなったためです。気まぐれや欲望に従って、妨げや罪悪感を感じることなく行動できる。このように、すべての神は外面化された姿であり、創造主の真の性質を拡大して投影したものであり、多くの信者が悩ましいと感じる宇宙や個人の気質の側面を擬人化したものである。したがって神を崇拝するということは、その神を発明した人たちを代理して崇拝するということになります。悪魔主義者はすべての神がフィクションであることを理解しているため、そのような神話上の存在にひざまずいて崇拝したり、友情や団結を求めたりする代わりに、自分自身を最高の価値として主観的な宇宙の中心に置きます。

 

したがって、私たちサタニストは私たち自信の「神」であり、慈悲深い「神」として、愛に値する人々に愛を捧げ、私たち、または私たちが大切にしているものに害をあたえようとする人々に怒りを与えることができます。